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赤上がりの膚が魅力的な山茶碗、窯の中で還元焼成の予定のところ、何らかの理由で酸素が入ったのか赤黒い壺などのような質感に上がりました。
山茶碗とは主に中世期の東海地区で焼かれ平安時代から室町時代頃まで焼かれ続けた量産品です。平安時代後期は主に貴族階級の好みの優美な施釉陶器だったのですが、末期から鎌倉時代にかけては台頭する武士階級とその家人たちへ向けて供給され、更にその後には庶民へと広まっていったものです。
さて山茶碗といえば他窯を圧倒していたのが知多半島を中心とした常滑古窯でありますが、こちらはちょっとそこではない生まれであるなと感じます。
このような赤い膚の質感はすぐに渥美窯をイメージさせられますが、例えば大アラコなどで出土したもののように砂をそのまま固めたような土味とは異なるものですね。さてそれではどこかと云うと枯れ葉色の釉薬の発色などややねっとりとした土から湖西古窯の生まれと考えています。
知多半島とは三河湾を挟んで対岸に突き出している渥美半島、そこから豊橋方面に展開する湖西古窯、渥美古窯とここをどう区切りを付けるのかは難しいところでありますが、その辺の詳細の線引きはまた研究者の方に委ねたいと思います。
それらはさておき、窯の中でたっぷりと降りものが掛かって荒々しい見込みの景色が愉しいものですね。
マニアックなものなかもしれませんが、素直にモノをストレートに見ても中世を感じさせる佳品と思います。
口径16.5~17.6 高さ4.9~6.0センチ
平安時代末期
箱はありません。
画像で説明したように口縁に割れた共パーツを接着して直している部分があります。その他燻銀繕いが1か所ありました。
画像に出てくる敷板などは付属しませんのでご了承下さい。 |
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45,000円
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