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高野山の金剛峯寺は弘法大師空海が清浄な山岳の寺院で修業に集中できるよう建立したことで有名な古刹です。寺を建立するにあたり、この高野山の地主神である狩場明神(通常、猟師の姿で描かれることが多い神で、この地方に勢力を持っていた山の民の象徴であると思われます。)や丹生明神(根来などの塗り物に欠かせない朱色の顔料、硫化第二水銀である丹生を司る神です。)から寺域の土地を譲られた伝説があります。鎌倉時代頃からこの二柱を祀る信仰が発端のようですが、その後更に二柱を加えた四柱が高野山麓の丹生都比売神社に祀られており、密教擁護の神として篤く信仰されています。
さて掲出の高野四社明神図は室町以降の四柱を祀るようになってからの図です。向かって右上に一宮、丹生明神、その左に二宮、狩場明神、下の段右に三宮、気比明神、そしてその左に四宮、厳島明神が描かれています。
神仏習合の思想を具現化した垂迹美術、そのなかでこの高野四社の図は、各地域に進出していった仏教思想が新しくスムーズに布教するために、古来からある地主神の信仰とうまく折り合っていく過程を如実に現した重要な遺品と思います。
仏教美術の一環としてご紹介する図ですが、日本の国だけに見られる平和的な宗教の融合である垂迹美術のジャンルはもっと注目されていいものじゃないでしょうか。
サイズ 軸装 縦151センチ 巾52.5センチ
イメージ 縦87センチ 巾39センチ
室町~江戸時代 紙本着色 桐箱に収められています。
時代判定は同じ形式で描かれるので、なかなか難しいところですがディテールにやや簡略化が見られ、山犬の描かれる位置が欄干の外にあることで、江戸に入る可能性が高いものではないかと考えています。
経年の擦れ、剥落、シミなどがあります。
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